日本独自の美意識で発展した、古典菊(コテンギク)。

品種のご紹介

菊は日本在来の植物ではなく、中国からもたらされたと考えられています。
平安・鎌倉時代には、日本独自の美意識により支配者層の間で独特の花が作り出されました。
それが大衆化して、江戸時代までに日本各地で楽しまれた菊を、古典菊と言います。

古典菊の特徴

菊は中国原産で、2,000年以上前から薬用や食用として栽培されていきました。日本へは8~9世紀頃に伝わったと言われ、平安・鎌倉時代に支配者層の間で観賞用として独特の花が作り出されました。

筆先のような花弁をもつ「嵯峨菊」は京都の大覚寺で門外不出とされ、花弁の垂れ下がった「伊勢菊」は伊勢の国司や伊勢神宮との関わりで栽培されました。そして菊は支配者層の中で宴の楽しみとして、美術工芸品として、不老不死のシンボルとして特権的な地位を築いていきました。

近世中頃以降になると菊は大衆化して、変化に富む園芸種の菊花壇や、菊細工の見世物が流行したと言われています。中心的役割をしたのが、花弁のまばらな「肥後菊」と花弁が咲き始めてから変化していく「江戸菊」でした。これらに花の中心が盛り上がって咲く丁子菊を加えた伝統的な中輪種を「古典菊」と呼びます。

■江戸菊
江戸を中心に発達した古典菊の代表的な品種です。当時は「中菊」といえば本種を指すほど庶民に親しまれており、「正菊」と称されるほど中心的な存在でした。季節外れに咲く狂い咲きが多く、咲き進むにつれて花びらの形が変化することから「狂い菊」「舞菊」「芸菊」とも呼ばれます。

■肥後菊
肥後六花の1つに数えられる熊本発祥の古典菊です。大輪で花びらの厚いものが好まれた当時の流行と逆行し、20~30枚の一重咲きの花びらをまばらに付けます。素朴さが好まれました。

■嵯峨菊
大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を元に、京都の嵯峨野で育成された品種です。細長い一重咲きの花びらが、毛筆のように直立します。最も古い系統をひく古典菊として日本三大名菊に名を連ねており、伊勢三大珍花の伊勢菊も本種から作られたものです。

■伊勢菊(松坂菊)
伊勢地方で発達したもので、嵯峨菊から変化して出来たものといわれ、中輪を伊勢菊、大輪を松阪菊と呼ばれていたようですが、 いつの間にか全体が伊勢菊と呼ばれるようになりました。咲きはじめは嵯峨菊に似ていますが、花弁が垂れ下がるのが特徴です。

■美濃菊
岐阜県南部にあたる美濃地方で発達した品種で、羽島市北部に自生していた野菊を元に生み出されました。蓮に似た大きな花びらを八重咲きにすることが特徴です。

■丁子菊
江戸期の栽培菊。中心部のたくさんの筒状花を囲むような舌状花で構成されているのが特徴です。頭花が丁子(クローブ)の花に似るので、江戸時代に丁子咲と呼ばれ、また蜂の巣にも似ているので、「蜂 窠 はちのす/ほうか」という呼び方もありました。

■松阪菊
菊愛好家の木下藤八氏が嵯峨菊から作出した菊で、江戸菊、肥後菊、嵯峨菊と並ぶ古典菊の一つである。松阪菊には、大輪菊と中輪菊の二系統があり、花弁が縮れて垂れ下がるのが特徴です。

■奥州菊
青森地方で発達した菊で、花の上部が両手でギュッと掴んだような形に盛り上がるので大掴みとも呼ばれます。掴みの部分が山二つの型を女咲き、八の字型になったものを男咲き、掴みと走りの間にモクモクと雲がわいたような花弁がつくと雲咲きと呼びます。

育て方、仕立て方

育て方は通常の菊と同じです。
大輪に咲かせたり、花を整えたり、仕立て方を工夫する場合が多いので放置栽培よりも仕立てる管理が重要になる場合が多いです。

・摘心
苗が10cm程に成長したら、芽先の先端を1cmほど摘み取ります。摘心してから20日程で側枝となる芽が出てきます。

・支柱立て
脇枝が伸びてきたら、茎が倒れない様に支柱を立てます。60~80cm程の支柱を5,6本ほど用意してください。苗の外側にバランスよく挿して、紐で輪囲いします(最近は便利なプラスチック製の組み立て式トレリスがありますが、少々外観が悪くなりますので紐による輪囲いをお勧めします)。

花を一輪で大きく育てたい時は、芯についている蕾と予備の蕾を残して摘み取ります。

嵯峨菊 「嵯峨の夢」
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